| キワモノ偏愛記 増補版 | |
| 説明: | 私の愛することどもをたらたらと無責任に書きつづりまして候。 |
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| 「欲望のオブジェ」アドリアン・フォーティ Wed, 10 Mar 2010 14:35:00 -0500 副題も含めると「欲望のオブジェ デザインと社会 1750-1980」、原題は「OBJECTS OF DESIRE Design and Society 1750-1980」。まんまだな。デザインを学ぶにおいて必読の書、っていうことになってるらしいんだけど、実は読んでなかった。今さらな感もありつつ、読。’94年に翻訳・発行されたデザイン評論なんだけど、今読んでもおもしろい。現代のデザインについても大いに当てはまる指摘がなされていて、しかも平明でわかりやすい。あらゆるデザインが、デザイナー個人の表現ではなく、近代化へ向かう社会的な風潮、政治的な要請を受けての観念が表出された結果である、という観点で、詳細な資料と具体的な事例とともに論証される。今となっては自明のことと思われる気もするんだけど、そう思えるのもこの著作の影響によってデザインの社会学的考察が進んだ成果であるのかも。目次立てを紹介してみます。第一章 進歩のイメイジ第二章 最初のインダストリアル・デザイナー第三章 デザインと機械化第四章 デザインの差異づけ第五章 家庭第六章 オフィスのデザイン第七章 衛生と清潔第八章 電気―未来の燃料第九章 家庭省力化第一〇章 デザインとCI(コーポレイト・アイデンティティ)第十一章 デザイン、デザイナー、デザイン文献第五章あたりから、射程が現代にまで及んできて、ほっほーぅ、てひざを打つこと多数。「あったかい家庭」像というのは、近代の所産なんすかー。労働の効率化がはかられたことにより、働くだけの場所つまりオフィスとか工場っていう場所ができて、そこでは個人は労働力に解体されて全人的な人格を奪われる、で、その苦痛を癒す場所、個人を取り戻す場所っていう観念として、「あったかい家庭」ってやつが出来てくるんですって。まー。その場所を実現するために適切な家具調度類を選びしつらえる、トータルなインテリアデザインの腕前がその家庭の奥方の器量に直結することになる。家具調度のデザインが単に機能性だけではなく、「あったかい家庭」像ひいては「あったかい家庭を創出するステキ奥様」像へと結びつき、インテリアデザインが過熱していく態。ほっほーぅ。第六章のオフィスデザインの変遷具合もおもしろい。おもしろいっつか、プチむかつく。オフィスというのは主に事務労働職場ね。労働者の労働力を引き出すために、つか、サボらないように怠けないように効率よく働かせるために職場が.. |
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| 「人間失格」太宰治 Wed, 10 Mar 2010 14:33:00 -0500 最近、太宰作品の映画化が相次いでるせいか、書店での扱いも華々しいですなー。「人間失格」っていったい何社から出てんのかしら。文庫だけでも15社は下らない。カバー違いとかも含めればすごいバリエーションありそう。Amazonのアフィリエイト貼ろうと思ったらえらいことになり、まあここはとりあえず初版の筑摩書房に敬意を表しておきましょうかね。ココでも読めますね。インターネットの電子図書館、青空文庫→「人間失格」太宰は高校生くらいに「人間失格」読んで鬱陶しくてうんざりして以来、ほとんど読まず嫌い。ちなみにわたしの妹は「大変つまらない小説だったが忍耐力が養われたと思う」みたいな読書感想文を書いて教師を呆れさせたことがあるらしい。笑。好き嫌い云々というよりほぼ縁がなかったんだけど、今読んでみたら違うかもなーと思って読んでみた。思ってたより鬱陶しくない。かなり突き放してる感じ。へえー。主人公の語りは、自分のことを徹底して対象化・客観化・相対化して批評しまくる書きっぷりなんすね。なので、共感して鬱々、ていう感じよりも、淡々と乾いてる。つか、笑えたりする。ラストのヘノモチンのくだりは吹いた。読めば読むほど、これは大マジで読むもんじゃないのでは? という気がしてくるんだけど、気のせいかな。ひょっとして、ギャグなのでは。どこまでマジでやってるのかなー、と思わせるあたりがキレッキレに冴えてる。いやそれは葉蔵の道化を演じる癖の悲しい顕れであるよ、という読み方もできんことはないだろうけど。なんか映画版の「嫌われ松子の一生」みたいな印象。ていうかこの映画が太宰なのかも。松子がアパートの壁にごりごり書きなぐる「生れてすみません」も太宰由来でしたっけね。井上ひさしの「太宰治に聞く」(文春文庫)に、「格好よくポーズをきめる(略)、そのたびに照れて含羞(はに)かんで、『なあんちゃって』と崩す。これが太宰の文体の、いや彼の文学の基調なのです」ていうくだりがあるそうなのだけど、まさに「人間失格。なあんちゃって」なんじゃないのかなー、などと思ってしまったわけなんだが、太宰ファンの方には不謹慎に思える読み方だったりすんのかしら。すいませんね。でもそういう照れとか含羞なのだとしたらかなり好感です。で、映画化だったら、生田斗真じゃなくって劇団ひとりとかどーだろう。陰鬱な転落物語としても自虐炸裂のギャグとしてもいけそうな気がするんだけど。 |
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| ’10 バンクーバーオリンピック、くいのこし Tue, 02 Mar 2010 13:15:00 -0500 シロタにしては珍しく熱心に観戦しておったものの、所詮はニワカ、ひとくちふたくち齧ったあとはわりにぞんざいな流し見になってしまいました。Twitter界隈やはてなのブコメをROMってるとおもしろい。しっかしyahoo!ニュースのコメント欄はかなりめに香ばしく腐った方々が集ってらっしゃるんですなー。2ちゃんねるがサイバーテロくらったって話だけど、yahoo!も充分標的になりそうな気がしますわ。フィギュアスケートフィギュアスケートは、スポーツ競技じゃなくって芸能なんじゃないかと思う。芸能コンクール。ダンスとか演劇とか演芸の類い。そも、競技としてはルールが曖昧過ぎマニアック過ぎ。例えば、速けりゃ勝ちとか、パックをゴールに入れれば勝ち、とか、的に一番近いのが勝ち、とかっていうルールと比べたら、どうやったら勝てんのかわからん。プルシェンコ選手みたいなルールを熟知しているはずの一流選手でさえ、勝ち負けの納得がつけ難いというのは既にルールの欠陥なんじゃないか。ジャンプの回転数が勝負なんだったら助走たっぷりとってジャンプ台もつかって5回でも6回でも好きなだけ回るがよろしい。そんで、より多く回った奴が勝ち、っていうのがスポーツ競技だと思うのな。ワザのつなぎとか音楽の表現とかってスポーツのルールであろうか? それいったらスノーボードのハーフパイプもフリースタイルスキーのモーグル、エアリアルなんかもビミョーになってくんのかしら。まあでもフィギュアスケートに人気があるのはまさにこの芸能成分なんだろうな。しかも演技の内容そのものじゃなくって、勝ち負けやライバル物語ばっかりおもしろがる些かプロレス趣味な芸能。キム・ヨナ選手vs浅田真央選手のあざとい煽り方とか、一流のアスリートをつかまえて真央ちゃんだのミキティだの馴れ馴れしく愛称ちゃん付け呼ばわりとか、苦難を乗り越えて頑張ります的メイクドラマとか、えげつなく泣き顔を狙うインタビューとか、メディアの扱いもどーしようもなく芸能ゴシップ的。まあゴシップ的なのはフィギュアに限ったことじゃなくって、服装問題(笑)への食いつきっぷりとかもそうだったけどね。ことオリンピックとなると芸能ゴシップ如きが社会派ぶりやがるのな。で。芸能としてのフィギュアスケートであるならば、エキシビジョン、ショウ形式が正調であると思う。で、審判つーより審査。舞踏や演劇や音楽やパフォーマンスアートの第一人者を審査員に取り揃えてがっつ.. |
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| 「シムソンズ」 Mon, 01 Mar 2010 14:43:00 -0500 オリンピックが盛り上がってるいま時分、個人的にもカーリングに注目まくりであって、こりゃ相乗でおもしろがれそう、と目論んで鑑賞。大正解。バンクーバーで頑張ってる選手たちとシムソンズのメンバーが重なってみえる。いや実際のシムソンズはバンクーバー出場チームとは違うんだけど、カーリングに夢中になって邁進する彼女達の姿勢はきっと同じなんだろうな、と印象が重なって、思わず頑張れーって、応援にも熱が入っちまう訳ですだよ。笑って泣いて喧嘩して仲直りして、っていう、まーベタなお話なんだけど、この場合はベタなのがよい。変にヒネたりこじらせたりする必要ないもんね。素直にベタな青春っぷりが爽やかに晴れやかにすがすがしく、大変好感。めんこいめんこい。欲を言えば、カーリングに賭けるそれぞれの気持ちがいま少し丁寧に描かれるとよかったかなーとか思うけど、常呂町の風景がドラマを底支えしてる。なんともいえない懐かしさを感じさせるような風景、どんくさく鄙びて重いくせに、澄んで明るく鮮やかに登場人物をふちどる。大げさに言うなら厭わしくも慕わしい故郷、ってやつ。洋ちゃんがステキ過ぎる。最高にどハマり。軽トラ似合い過ぎ(笑)。個人的にはネイティブ発音の流麗な北海道弁(笑)に悶えた。「したっけ!(それじゃあ、って感じの意味合い)」「目つぶれって言ったべや〜」。この「べや〜」がネイティブだ。はははは。洋ちゃんのキャラ、いい感じにナメてかかれる軽さ、どことなく飄々と抜けた風情が、シリアスに重くなり過ぎなくっていい。何度も「楽しめ」っていうんだけど、楽しむってことをこんなに説得力もって言える人ってなかなか居ないかも。ちょうど、「クール・ランニング」と一緒に借りてきてて、そっちとも共通するんだけど、競技を楽しむ、ってことは、競技に全力を尽くしながらも、全力を出せる自分を楽しむってことなんだと思うのな。そんなに生易しいことじゃない。でも、そうできる選手がやっぱり強いんじゃないかな。 |
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| 「クール・ランニング」 Mon, 01 Mar 2010 14:42:00 -0500 えーと’94年公開か。札幌の劇場で観たぞ。この頃はまだ二本立てっていう習慣があって、これは「三銃士」と二本立てだった。確か学生800円くらい、入れ替え制じゃなくって居座れば何回でも観られる。パンフレットの値段400円。そういう時代を覚えているもので、一本だけ一回だけで1,800円なんていう価格には盛大な“ボられてる感”を覚えてしまうのも仕方あるまいよ。つーわけで「クール・ランニング」、久しぶりに再鑑賞。カルガリー冬期オリンピックに実際に出場したジャマイカのボブスレーチームをモデルに制作されたスポーツ青春ドラマ。バンクーバーオリンピックで盛り上がるいま時分に観たらおもしろかろうと思って「シムソンズ」と二本立てにしたった。はっはっは。雪とか氷とかにまるで縁のない、常夏の国ジャマイカ人がキンキンの氷のコースを高速で突っ走るボブスレー競技に挑戦、笑いあり涙あり、諍ってみたり協力しあってみたり、コーチに後ろ暗い過去があったり、キレッキレの北国選手に小馬鹿にされたり、いろいろと困難がありつつも夢のオリンピックに邁進するのだぜ、な、ベタなお話。つかこれ、ディズニーの製作なのね。だからというか、ベタはベタでも鉄板のベタ。キメるとこはスローモーション多用で、ココ盛り上がるとこですよーっていうわかりやすいキメっぷりだったりもするんだけど、そのシーンだけ浮く訳でもないし、うまく出来てるんだと思う。ものすごく安心して観ていられる安定感。うまくいって→困難にぶちあたって→ちょっと笑いがあって→かなりうまくいって→トラブって→克服して→いよいよだー、みたいなお話の起伏もうまーく刺激されるし、場面場面でイイ台詞がキマり、清く正しく明るく朗らかで立派な「いいお話」。体育会系の善良。あまりにも清く正し過ぎると、クサかったり説教くさく感じてイラっとするんだけど、この映画の場合、ジャマイカンでラスタでユルめなレゲエノリが真面目になり過ぎなくってイイ。お調子者のサンカが、「俺は俺であることを捨てない。(陽気な)ジャマイカンとして競技に臨むぜ」みたいなことを言う場面なんか、いいじゃーん、て思う。ていうか、単に“巨人の星”的に暑苦しいスポ根ものが嫌いなだけなんだけども(笑)、そこいらへん、ほどほどに笑えたりバカを仕込んであったりっていう程合いがよいです。全編に流れるレゲエ音楽も好適。 |
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| 「長江哀歌」再鑑賞 Thu, 25 Feb 2010 12:23:00 -0500 「長江哀歌」の画ヅラのもっさりはDVD故か?の件について。シネマート六本木にて、スクリーンで鑑賞できました。で、やっぱり、よくなかった。もっさり。もったもたのボッテボテ。トーンカーブがおかしいのかな。暗部がベタベタにつぶれて、明部はスッカスカにトんでる。色も鈍い。奥行きが浅くって、厚みに乏しいっていうか、遠近感、立体感が弱い。ズームとか長いレンズがなかったのかな、全ピン気味ののっぺり感。今回は新たに撮影ムラが気になりました。カットが切り替わったところで画質、画の印象がガツンと変わるとこがあって、つぎはぎ感あり。むしろDVDで鑑賞したときのほうがコンパクトなモニタ画面に収まってる分、粗もおとなしめでまとまり感があったんだと思う。なんかね、本当はこういうふうに撮りたかった、っていうのがみえるような感じさえする。「四川のうた」を観たら余計にそう思う。「四川…」の工場の画、成都の街の画、労働者の顔。こんなふうに撮りたかったんじゃないのかなー、と思ったのでした。テーブルの上に並べられた茶菓や茶碗やコップの画は、中世の寓意画みたいな禁欲的な厳しさで撮りたかった。廃墟や工場の画は、もっと細かい粒子で繊細にシアーに、けれども冷たく非情に無機的な硬質さで撮りたかった。のじゃないかなー、と。もちろん、映像は適正で鮮明であればよいってものではなく、表現効果として狙い、敢えて適正から外す演出ってことも作品によっては当然あるだろうけれども、「長江」の場合はストレスフルによくなかった。その画は違うだろ、と感じるストレス。また、そのストレスが映画的に某かの効果を狙ってのことか、っていうとそうとも思えない。効果といえなくもないのは、全体に滲むような劣化した画が、ダムに沈む奉節の街の死の気配を描き出していたかもしれない点。女性が夫を訪ねた工場の画、でっかいタンクみたいな腐食した建造物のある風景を女性が歩く場面なんかは、平板に滲んだ腐食部分が画面全体を腐食するようで幻想的に死んでた。ただし、それを演出する効果として最善の手法であったかといえば疑問が残るし、映画のテーマとしても滅ぶイメージだけが画を支配するのはそぐわない。むしろ、水没する間際にあって際立つ人の姿の鮮やかさが、鋭く明滅するべきなんじゃないか、と思う。ところで、最近、笙野頼子の著作(特に「だいにっほん」三部作とか)を読みふけり、国家と個人てことを考えるにつけ、「長江哀歌」の目線に気づいた.. |
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| 「世界」 Thu, 25 Feb 2010 12:23:00 -0500 というわけで、「世界」。世界公園ていう舞台だけでカンペキ。どこでも行けるが故にどこにも行けない。“世界”は厳然と非情なほどに、今、ここに在りながら、わたしの“世界”はどこにもない。砂漠で溺れるような窒息感。圧迫感。閉塞。宇宙の孤独。ニューヨークの摩天楼んとこで「田舎はどうよ」「相変わらず」「給料いくら」とかって会話する場面とか、息苦しさに死にそう。いいいいいいいーーーって叫びたくなるほど息苦しいのに、不思議に平静に落ち着いて観ていられる、そして、だからこそボディにクる。っていうか、なんすかこの訳わからんメモ書き↑(笑)ヒノキオさんの記事が素晴らしいので、ぜひぜひこちらを参照ください。 |
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| 「一瞬の夢」 Thu, 25 Feb 2010 12:22:00 -0500 そういや昨年12月にジャンクー特集上映に通い、三日間でジャンクー作品5本「長江哀歌」「四川のうた」「プラットホーム」「一瞬の夢」「世界」鑑賞、ていう荒行?(笑)してみた件について。それぞれの映画の感想を書こうと思って書きかけなのだった。あまり長々と寝かせておくのもナンだし、この際書きかけのままでupしてしまいます。しかし、ジャンクーの映画は射程が長いというか、後からじわじわキいてくるようなとこがあるなー。今になってYouTubeで動画観て、あーそうかあのとき感じたのはそういうことかー、て印象が熟成されてる感をおぼえたりする。好き嫌いで言うとけして好きではないんだけど、強い重力がある。どうにも観させられるっていうか。というわけで、「一瞬の夢」新興の地方都市を舞台に、ダメダメなスリ青年が己の人生に行き詰まりつつ、カラオケで働く女性に恋して生きる喜びを見出し、とはいえダメダメはダメダメであって行き詰まってることにはなんら変わりなく、幸福になろうとする希望とダメダメな諦めとの葛藤、みたいなんが描かれる。特にひねったところもない、よくあるお話ではあるんだけど、なんかこう、皮膚に擦り付けられるような感覚で迫ってきて、ときどき痛い。体調を崩して寝込んでいる女性を見舞うところ、女性が青年の肩にそっともたれ、寄り添うふたりの姿なんかは、むきゃーーって感じで嬉し恥ずかしこそばゆい。夢みたいに幸せ過ぎてせつないほどの。そやって恋に浮かれておると、容赦なく生活っ、とか、将来っ、とか、現実っ、がごんごん迫りまくってくる。しかしこの映画、「プラットホーム」から続けて観たせいで、なんだか不思議な感慨をおぼえました。役者が重なってるんで、スピンオフってんじゃないけど、映画の世界が地続きに連なって、パラレルワールドに入り込んだような。でもって、「プラットホーム」は時間の感覚にキくっていうか、ものすごく月日が経った感がクるんで、時を隔てて古ーい昔のお話を見聞きするような感じがしましたです。 |
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